大河ドラマ花燃ゆ=第3話=豆知識その10ペリー艦隊 [花燃ゆ]
『花燃ゆ』主人公:杉文(井上真央)
第3話での年齢9歳11歳
(1845年)1843年3月1日生まれ
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第3話の主な出来事
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・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)黒船密航失敗
----------------------------
2015年 NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」第3話の放送終わりました。
今回も、吉田松陰(伊勢谷友介)が歴史的事件を起こしましたね。
ぺりー艦隊 旗艦ポーハタン艦に乗船。ぺりーが乗船を拒否。
吉田松陰は、その足で自首し、投獄の身となった。
この時、一緒に密航したのは、弟子の金子重之輔で、萩の松陰誕生地に建つ
銅像で松陰の傍らで膝末く人です。
密航事件発生は、嘉永7年(1854年)3月28日午前2時頃
杉文(井上真央)9歳11歳のことだ。
久坂 玄瑞(東出昌大)は文の3つ上ですので、12歳14歳のことだ。
史実では、15歳の春に家族全てを失った。とある。
身長は6尺(約180cm)と当時としては、かなりの長身である。
安政4年(1857年)晩春に松陰の門下生となる。
この年の暮12月5日に文と婚姻する。
=唐人お吉
※引用元:http://ameblo.jp/digitake/entry-11499759352.html
ペリー艦隊は、1852年11月24日アメリカ東海岸から出航し、
大西洋→アフリカケープタウン→インド洋→マラッカ海峡→シンガポール
→マカオ・香港→琉球王国→小笠原諸島(ペリーは小笠原の領有を宣言した
が、イギリス・ロシアに抗議をされ実行には至らなかった)→琉球王国→
浦賀(1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に来航という僅か6ヶ月強
の航海でやってきた。
危うく小笠原諸島がアメリカになっていたところだ。
この時、佐久間象山と共に吉田松陰は黒船視察を行っている。
まだ、スエズ運河は完成(1869年11月17日)していなかったので、
ケープタウンを経由して、あっちこっちに寄港しながら6ヶ月とは、恐るべ
き早さだ。
現在でも、船で1ヶ月ぐらい掛かる。勿論、寄港地無しでだ。
記録では、那覇から浦賀まで、6日間だったようだ。
東京有明港→那覇 フェリー 約45時間 約2万円(人のみ)
ペリー艦隊と言っても4隻で内2隻は帆船だった。
帆船は、蒸気船で曳航して航海していたようだ。
2度目の来航は、1854年2月13日(嘉永7年1月16日)で、半年弱
での再来航となった。
では、その間何処にいたのか?
半年でアメリカ往復は厳しいだろう。
実は、浦賀→琉球王国→香港→琉球王国→浦賀
と、その辺をウロウロしていたのだ。
その後、ぺりー艦隊は、静岡県下田港に移り「日米通商条約」調印となる。
吉田松陰の密航もこの時である。
下田には、何度か足を運んだ事があるが、吉田松陰の印象はない。
下田での印象は、ぺりー、唐人お吉、なぜか坂本龍馬である。
吉田松陰は、下田の隣町で自首したようなので、そちらには、何か碑か銅像
かが有るかも知れない。
よろしければ こちらの記事もご覧下さい。
◇大河ドラマ花燃ゆ=第7話=豆知識その17脇差は現存していた!
◇大河ドラマ花燃ゆ=第8話=豆知識その19唐人お吉
◇大河ドラマ花燃ゆ=第4話=豆知識その13形見の赤間硯
◇大河ドラマ花燃ゆ=第1話=豆知識その5萩から長崎、江戸まで何日?
◇大河ドラマ花燃ゆ=第3話=豆知識その10ペリー艦隊
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第3話での年齢
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第3話の主な出来事
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・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)黒船密航失敗
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2015年 NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」第3話の放送終わりました。
今回も、吉田松陰(伊勢谷友介)が歴史的事件を起こしましたね。
ぺりー艦隊 旗艦ポーハタン艦に乗船。ぺりーが乗船を拒否。
吉田松陰は、その足で自首し、投獄の身となった。
この時、一緒に密航したのは、弟子の金子重之輔で、萩の松陰誕生地に建つ
銅像で松陰の傍らで膝末く人です。
密航事件発生は、嘉永7年(1854年)3月28日午前2時頃
杉文(井上真央)
久坂 玄瑞(東出昌大)は文の3つ上ですので、
史実では、15歳の春に家族全てを失った。とある。
身長は6尺(約180cm)と当時としては、かなりの長身である。
安政4年(1857年)晩春に松陰の門下生となる。
この年の暮12月5日に文と婚姻する。
=唐人お吉
※引用元:http://ameblo.jp/digitake/entry-11499759352.html
ペリー艦隊は、1852年11月24日アメリカ東海岸から出航し、
大西洋→アフリカケープタウン→インド洋→マラッカ海峡→シンガポール
→マカオ・香港→琉球王国→小笠原諸島(ペリーは小笠原の領有を宣言した
が、イギリス・ロシアに抗議をされ実行には至らなかった)→琉球王国→
浦賀(1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に来航という僅か6ヶ月強
の航海でやってきた。
危うく小笠原諸島がアメリカになっていたところだ。
この時、佐久間象山と共に吉田松陰は黒船視察を行っている。
まだ、スエズ運河は完成(1869年11月17日)していなかったので、
ケープタウンを経由して、あっちこっちに寄港しながら6ヶ月とは、恐るべ
き早さだ。
現在でも、船で1ヶ月ぐらい掛かる。勿論、寄港地無しでだ。
記録では、那覇から浦賀まで、6日間だったようだ。
東京有明港→那覇 フェリー 約45時間 約2万円(人のみ)
ペリー艦隊と言っても4隻で内2隻は帆船だった。
帆船は、蒸気船で曳航して航海していたようだ。
2度目の来航は、1854年2月13日(嘉永7年1月16日)で、半年弱
での再来航となった。
では、その間何処にいたのか?
半年でアメリカ往復は厳しいだろう。
実は、浦賀→琉球王国→香港→琉球王国→浦賀
と、その辺をウロウロしていたのだ。
その後、ぺりー艦隊は、静岡県下田港に移り「日米通商条約」調印となる。
吉田松陰の密航もこの時である。
下田には、何度か足を運んだ事があるが、吉田松陰の印象はない。
下田での印象は、ぺりー、唐人お吉、なぜか坂本龍馬である。
吉田松陰は、下田の隣町で自首したようなので、そちらには、何か碑か銅像
かが有るかも知れない。
◇大河ドラマ花燃ゆ=第8話=豆知識その19唐人お吉
◇大河ドラマ花燃ゆ=第4話=豆知識その13形見の赤間硯
◇大河ドラマ花燃ゆ=第1話=豆知識その5萩から長崎、江戸まで何日?
◇大河ドラマ花燃ゆ=第3話=豆知識その10ペリー艦隊
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