SSブログ

大河ドラマ花燃ゆ=第7話=豆知識その17脇差は現存していた! [花燃ゆ]

『花燃ゆ』主人公:杉文(井上真央)
 第7話での年齢10歳12歳
(1845年)1843年3月1日生まれ
------------------
第7話の主な出来事
------------------
・兄  吉田松陰(伊勢谷友介)福堂策執筆、出獄
・甥  小田村伊之助の長男:希家 登場
・義兄 小田村伊之助  松陰の出獄を画策
・桂小五郎(東山紀之) 松陰の出獄を画策
------------------

松陰の出獄に奔走し、水戸藩に力添えを願い出る
際のセリフがちょっと気になりました。

水戸のご老公様に執り成しを・・」と言ってい
ましたが、水戸光圀以外も”水戸のご老公”と呼
んでいたのでしょうか?

ご老公とは”年老いた貴人”を指すもので、
ご老公=水戸光圀ではないようです。

特に誰とはなく上層部の偉い人にという意味だろ
うと思われる。

それにしても、何故水戸藩だったのでしょうか?

=桂小五郎

t02200356_0240038811126299757.jpg

※引用元:http://matome.naver.jp/odai/2140662970294229601/2140672964769687103

確かに、水戸藩士は「桜田門外の変」を引き起こ
しますが、安政7年3月3日(1860年3月24日)の出
来事ですので、5年も後のこと。

桂小五郎は、指折りの剣豪ですので、その線での
継りがあったのかも知れません。

或いは、「水戸学」絡みの繋がりかも知れません。

松陰も東北遊学(ロシアの動向調査)の途中に水
戸藩 会沢 正志斎と会っています。

その繋がりを利用したという線が強うそうですね。

=楽天リンク
ハル・ライシャワー著「絹と武士」


それと、藩主 毛利敬親(北大路欣也)が松陰の兄
杉梅太郎(原田泰造)に脇差を渡す場面がありまし
たが、藩主 毛利敬親の真意は何だったのでしょう
か?

”この脇差を授けた時の志を忘れるな”なのか?
”これで腹を切れ”なのか?

松陰は、在宅蟄居となり獄から出てきました。
つまり刀を手にする事も可能なのですからね。

私は、藩主 毛利敬親の顔からは、後者の切腹と
読み取りましたが、皆さんは、どう読み取りまし
たか?

この脇差は、現存しているそうです。

松陰処刑の後は寿(優香)が預かる事となる。

その後は・・・・・
(暴露になってしまうので控えます。)

松陰の志を受け継いだかのようにアメリカに渡り
現在はカルフォルニア在住の新井領蔵氏によって
保管されているそうです。

アメリカに渡った経緯は
ハル・ライシャワー著「絹と武士」に書かれてい
ます。

この本は、「花燃ゆ」のこれからのストーリーに
かぶるところが多い内容です。


よろしければ こちらの記事もご覧下さい。
◇大河ドラマ花燃ゆ=第7話=豆知識その17脇差は現存していた!
◇大河ドラマ花燃ゆ=第8話=豆知識その19唐人お吉
◇大河ドラマ花燃ゆ=第4話=豆知識その13形見の赤間硯
◇大河ドラマ花燃ゆ=第1話=豆知識その5萩から長崎、江戸まで何日?
◇大河ドラマ花燃ゆ=第3話=豆知識その10ペリー艦隊

》関連記事リンク《
朝礼スピーチネタ[暦]
【おもしろ雑学】 目次
blog ClickTravel
今日の豆知識
過去記事まとめ
偉人の名言集 目次
何の日 目次



スポンサーリンク






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。