大河ドラマ花燃ゆ=第7話=豆知識その22 吉田松陰 二十一回猛士 [花燃ゆ]
『花燃ゆ』主人公:杉文(井上真央)
第7話での年齢10歳12歳
(1845年)1843年3月1日生まれ
------------------
第7話の主な出来事
------------------
・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)福堂策執筆、出獄
・甥 小田村伊之助の長男:希家 登場
・義兄 小田村伊之助 松陰の出獄を画策
・桂小五郎(東山紀之) 松陰の出獄を画策
・女囚 高須久子(井川遥)
------------------
ちょこっと、話を戻します。
気になっていた事が、解明したのでご紹介します。
それは、第7話で吉田松陰が女囚の高須久子に、
名前を書いて「二十一」と言っていたのは、何の
事か解らなかったんです。
「杉」の21は、理解できたのですけど、「吉田」
の方が理解できませんでした。
何だろな?と思っていたら、何のことはない。
ウィキペディアに出ていました。
「杉」という字をバラします。
「十、八、三」これを足すと、21
「吉田」の方も、同じく字をバラします。
「十、一、口・十、口」これを足して組み治すと、
『二十一回』になる。
この『二十一回』は、吉田松陰の生き様を支えて
いるものになっています。
第7話では、さっと流されましたけどね。
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これからも、度々『二十一回』という言葉が、松
陰の口から出てくると思います。
『吉田松陰』これは、ご存知の様に、本名ではあ
りません。
本名は『吉田大次郎』です。そう「寅次郎」でも
ないのですよ。
吉田家に養子に入る前は、『杉寅之助』だった。
『寅次郎』というのは、通称であだ名のようなも
のなのです。
【号】というものも、持っていました。
それが、『松陰』と『二十一回猛士』でした。
『松陰』というのは、どこから付けられたか?
松陰が江戸での遊学中に有名な思想家:会沢正志
斎が書いた「高山彦九郎伝」に出会います。
高山彦九郎の思想に偉く感銘を受けたそうです。
・高山彦九郎
1780年頃の思想家
「寛政の三奇人」と呼ばれる程の著名な思想家
(三奇人:林子平、蒲生君平、高山彦九郎)
先駆的、尊皇思想家
全国を遊歴し、様々な人々と交流し勤皇思想を
説いた。
その感銘を受けた、高山彦九郎の戒名である、
「松陰以白居士」から採ったと言われている。
また、松陰の出生地である松本村に因んだとも
言われているが、両方があったのでというのが
正解だろう。
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http://blog.livedoor.jp/toyoigaku/archives/51423395.html
------------------------------------------
もうひとつの【号】である『二十一回猛士』は、
前記の通りの苗字から、二十一回と、猛士を合
わせたものだ。
『猛士』というのは、
幼名の「寅之助」の寅=虎 虎の徳性は【猛】
特性=道徳をわきまえた正しい品性。
松陰は、それらに、意味付けして、21回は必ず
猛を奮い誠を尽くして全力で物事を実行するとい
う強い意志を示したとされる。
松陰は、21回に達することなく処刑されること
になった訳ですが、次の3回を使ったと自身が記
しています。
①東北調査旅行のための脱藩
②藩士としての身分を剥奪さてているのにも関わ
らず、藩主に意見具申をした
③ペリー来航の際の「黒船密航」(下田渡海)
あと何回、誠意を尽くす事が残っていると、度々
松陰は口にします。
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第7話での年齢
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第7話の主な出来事
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・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)福堂策執筆、出獄
・甥 小田村伊之助の長男:希家 登場
・義兄 小田村伊之助 松陰の出獄を画策
・桂小五郎(東山紀之) 松陰の出獄を画策
・女囚 高須久子(井川遥)
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ちょこっと、話を戻します。
気になっていた事が、解明したのでご紹介します。
それは、第7話で吉田松陰が女囚の高須久子に、
名前を書いて「二十一」と言っていたのは、何の
事か解らなかったんです。
「杉」の21は、理解できたのですけど、「吉田」
の方が理解できませんでした。
何だろな?と思っていたら、何のことはない。
ウィキペディアに出ていました。
「杉」という字をバラします。
「十、八、三」これを足すと、21
「吉田」の方も、同じく字をバラします。
「十、一、口・十、口」これを足して組み治すと、
『二十一回』になる。
この『二十一回』は、吉田松陰の生き様を支えて
いるものになっています。
第7話では、さっと流されましたけどね。
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これからも、度々『二十一回』という言葉が、松
陰の口から出てくると思います。
『吉田松陰』これは、ご存知の様に、本名ではあ
りません。
本名は『吉田大次郎』です。そう「寅次郎」でも
ないのですよ。
吉田家に養子に入る前は、『杉寅之助』だった。
『寅次郎』というのは、通称であだ名のようなも
のなのです。
【号】というものも、持っていました。
それが、『松陰』と『二十一回猛士』でした。
『松陰』というのは、どこから付けられたか?
松陰が江戸での遊学中に有名な思想家:会沢正志
斎が書いた「高山彦九郎伝」に出会います。
高山彦九郎の思想に偉く感銘を受けたそうです。
・高山彦九郎
1780年頃の思想家
「寛政の三奇人」と呼ばれる程の著名な思想家
(三奇人:林子平、蒲生君平、高山彦九郎)
先駆的、尊皇思想家
全国を遊歴し、様々な人々と交流し勤皇思想を
説いた。
その感銘を受けた、高山彦九郎の戒名である、
「松陰以白居士」から採ったと言われている。
また、松陰の出生地である松本村に因んだとも
言われているが、両方があったのでというのが
正解だろう。
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http://blog.livedoor.jp/toyoigaku/archives/51423395.html
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もうひとつの【号】である『二十一回猛士』は、
前記の通りの苗字から、二十一回と、猛士を合
わせたものだ。
『猛士』というのは、
幼名の「寅之助」の寅=虎 虎の徳性は【猛】
特性=道徳をわきまえた正しい品性。
松陰は、それらに、意味付けして、21回は必ず
猛を奮い誠を尽くして全力で物事を実行するとい
う強い意志を示したとされる。
松陰は、21回に達することなく処刑されること
になった訳ですが、次の3回を使ったと自身が記
しています。
①東北調査旅行のための脱藩
②藩士としての身分を剥奪さてているのにも関わ
らず、藩主に意見具申をした
③ペリー来航の際の「黒船密航」(下田渡海)
あと何回、誠意を尽くす事が残っていると、度々
松陰は口にします。
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大河ドラマ花燃ゆ=第9話=豆知識その21:高杉晋作 [花燃ゆ]
『花燃ゆ』主人公:杉文(井上真央)
第9話での年齢12歳14歳
(1845年)1843年3月1日生まれ
------------------
第9話の主な出来事
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・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)松下村塾に入塾者
・後の夫 久坂玄瑞(東出昌大)松下村塾に入塾
・従兄弟 吉田稔麿(瀬戸康史)松下村塾に入塾
・塾生 高杉晋作(高良健吾)松下村塾に入塾
・塾生 伊藤博文(劇団ひとり)松下村塾に入塾
------------------
松下村塾がいよいよスタートしましたね。
花燃ゆの劇中で思わずメモしてしまいたくなる言葉が
ありましたので、ご紹介します。
久坂玄瑞の言葉
「自分の人生がつまらないのは己が、つまらないからだ!」
吉田松陰の言葉
「君は何を志しますか?」
「志は誰も与えてくれません。志は自分で掲げるものです。」
自分に無いものだったので、思わずメモしてしまいました。
弟の敏三郎(森永悠希)が、写本が売れ文にお菓子を
買ってくる場面がありましたが、この場面は、敏三郎
がどんだけ文姉のことが好きなのかが伝わるいい場面
でしたね。
※引用元:http://mens-full-life.com/entame/nhk-historical-drama/hana-moyu/
因みに、敏三郎は2歳年下の10歳12歳です。
お座敷に上がり、酒を飲みタバコを吸う???
いくらオリジナルの作品とはいえ、ちょっと遣りすぎでは
ないだろうか。
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劇中で、高杉晋作が当家は300年来藩の重臣を務めてきた。
と、セリフでいっていました。
確かに、高杉家は200石の大組という地位の家柄でしたので、
中級武士でした。
大河ドラマ花燃ゆ=第8話=豆知識その20:明倫館
を参考にしてください。
300年前と言えば戦国時代で川中島の合戦が始まった頃です。
毛利元就の頃となります。
武将としては高杉の名前は出てきません。
高杉家の祖は、甲斐武田(信玄の)の本家筋にあたる
安芸武田家の一族とされ、家紋も丸に割り四つ菱である。
高杉姓となったのは、備後国三谿郡高杉村(現:広島県
三次市高杉町)や安芸国高田郡(現:広島県安芸高田市)
高杉山辺りを所領していたのが由来。
毛利元就の頃には、上記の地は毛利家の所領となって
いるので、その頃から、高杉姓を名乗り、毛利家に使
えていたのでしょう。
セリフとは辻褄が合いますね。
武田の流れを汲んでいるとは思いませんでしたね。
そもそも、武田が安芸の出だとは知りませんでした。
高杉晋作は、24歳の時に結婚し子供が一人います。
晋作自身は、1867年5月17日27歳の若さで亡くなって
います。死因は肺結核です。
子孫に漫画家の金田一蓮十郎さん(代表作『ジャング
ルはいつもハレのちグゥ』『ニコイチ』など)がいます。
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=楽天リンク
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第9話での年齢
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第9話の主な出来事
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・兄 吉田松陰(伊勢谷友介)松下村塾に入塾者
・後の夫 久坂玄瑞(東出昌大)松下村塾に入塾
・従兄弟 吉田稔麿(瀬戸康史)松下村塾に入塾
・塾生 高杉晋作(高良健吾)松下村塾に入塾
・塾生 伊藤博文(劇団ひとり)松下村塾に入塾
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松下村塾がいよいよスタートしましたね。
花燃ゆの劇中で思わずメモしてしまいたくなる言葉が
ありましたので、ご紹介します。
久坂玄瑞の言葉
「自分の人生がつまらないのは己が、つまらないからだ!」
吉田松陰の言葉
「君は何を志しますか?」
「志は誰も与えてくれません。志は自分で掲げるものです。」
自分に無いものだったので、思わずメモしてしまいました。
弟の敏三郎(森永悠希)が、写本が売れ文にお菓子を
買ってくる場面がありましたが、この場面は、敏三郎
がどんだけ文姉のことが好きなのかが伝わるいい場面
でしたね。
※引用元:http://mens-full-life.com/entame/nhk-historical-drama/hana-moyu/
因みに、敏三郎は2歳年下の
お座敷に上がり、酒を飲みタバコを吸う???
いくらオリジナルの作品とはいえ、ちょっと遣りすぎでは
ないだろうか。
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劇中で、高杉晋作が当家は300年来藩の重臣を務めてきた。
と、セリフでいっていました。
確かに、高杉家は200石の大組という地位の家柄でしたので、
中級武士でした。
大河ドラマ花燃ゆ=第8話=豆知識その20:明倫館
を参考にしてください。
300年前と言えば戦国時代で川中島の合戦が始まった頃です。
毛利元就の頃となります。
武将としては高杉の名前は出てきません。
高杉家の祖は、甲斐武田(信玄の)の本家筋にあたる
安芸武田家の一族とされ、家紋も丸に割り四つ菱である。
高杉姓となったのは、備後国三谿郡高杉村(現:広島県
三次市高杉町)や安芸国高田郡(現:広島県安芸高田市)
高杉山辺りを所領していたのが由来。
毛利元就の頃には、上記の地は毛利家の所領となって
いるので、その頃から、高杉姓を名乗り、毛利家に使
えていたのでしょう。
セリフとは辻褄が合いますね。
武田の流れを汲んでいるとは思いませんでしたね。
そもそも、武田が安芸の出だとは知りませんでした。
高杉晋作は、24歳の時に結婚し子供が一人います。
晋作自身は、1867年5月17日27歳の若さで亡くなって
います。死因は肺結核です。
子孫に漫画家の金田一蓮十郎さん(代表作『ジャング
ルはいつもハレのちグゥ』『ニコイチ』など)がいます。
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